去勢されたフジカキ・バドミントン

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 オリンピック・バドミントン女子ダブルス決勝を見た。
 フジカキ組は息詰る攻防を繰り広げ、格上の中国に対し驚異的な粘りをみせて戦ったが、結局銀メダルに終わった。
 「私たちは金メダルが、欲しくてオリンピックにきたのではありません。自分たちのスタイルを見せに来たんです。それでここまできたんですから、私たちは正しかったと思ってます」
 バカも休み休み言ってほしい。そんな根性でオリンピックに参加して欲しくない。国民の税金を使って、世界の民族のスポーツの祭典に参加して、「競う」という意味がまったく解っていない。スタイルを見せるのは、ファッション・ショーか、芸能大会でやってほしい。
 青森山田高校の指導者は藤井瑞希、垣岩令佳のふたりに、なにも教育してこなかったということが、明々白々に見てとれる。スポーツのもたらすカタルシスは、肉体の限界に挑むことに価値があり、競技スポーツは勝つことにしか意義はない。
 バドミントンに敗けるのには三つの原因がある、と言われている。
まずストロークをミスする。…これは腕の振りがにぶく、大きく振りすぎ、足の踏込みが弱い。中国の選手はみな膝にサポーターを巻いていたが、日本の選手は手首にリストバンドをしていた。体全部を使って打つのと手打ちとの差がはっきりと見てとれた。 次に体のバランスを崩し動きがもたつく、速度の緩急の幅が小さい。そして決定的な第三の要因は、闘争心の弱さから来る反応の遅れ、ということだそうだ。
 総じて日本の選手に闘争心が欠けるのは、去勢された物質社会に病根はあるのだろう。


コメント

1件のフィードバック

  1. かつて「巨人の星」で、星雲高校が甲子園で準優勝になった時、PTA会長の鶴の一声で、その日の夜に選手全員が夜行列車で帰って来たエピソードを思い出します。
    無茶苦茶な?と思う反面、闘争心的を育てるには正解な気がします。理不尽でも何でも、負けると酷い目に遭う事を選手に浸透させるためにも!
    JOCに一人、ナベツネ的な激昂オヤジが生まれる事を切望します!

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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