去り逝く人々の功罪。

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 「ダークダックス」のパクさんこと高見沢宏さんが亡くなった。マンガの佐々木行さんがこの処ずっと体調をくずしていたので、そちらを心配していたが、以外にも一番長生きしそうなパクが逝ってしまった。付き合いは民放の始まった1958年頃からだった。抜群のハーモニーで品のいいコーラスだったが、いつも4人で棒立ちというのが映像化するのに苦労した。横からアップを重ねたり、バスト・サイズをパンしたり、ロングショットで照明の変化で見せたり、毎週変化をもたせて演出するのに苦労した。ある時「後姿」で歌って貰おうと段取りをつけたところ、ゲタさんこと喜早哲が猛烈に逆らった。よこでニコニコと成行きを見ていたのがパクさんだった。
 あの頃のコーラスは生まれ育ちがハッキリしていた。慶応出身のダークはいかにもそれらしくロシア民謡や甘いメロディに力を発揮した。早稲田出身のボニージャックスはホークやエスニックなレパートリーに傾斜していたし、デューク・エイセスはジャズ一辺倒だった。それぞれの生まれた背景や考え方がハーモニーにもでていたし、グループの空気をかもしだしていた。いまのようにアメリカ一辺倒のプータロー・コーラスではなかったのは幸いだった。
 横沢彪さんも亡くなった。各局のレポーターや司会者が名プロデューサーと持ち上げていたのにびっくりした。彼はお笑いブームを誘発しフジ・テレビを儲かるテレビにした功労者だが、以後吉本を中心にした下品なドタバタの笑いで、全国のテレビをおとしめた犯人でもある。テレビをやめた後吉本の東京支社長に転じた事実が雄弁に物語っている。ファースやコメディに描かれる人間の悲しい笑いや、知的な可笑しみを中心にした東京方の笑いは追放され、その場かぎりの品性のない笑いで今日の堕落したテレビに貢献したのだ。こうした安易な笑いに批判を持たない司会やレポーターに、いまテレビの抱えてる問題がみえる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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