原発シニア特攻隊?

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 チャリティ・コンサートがやたら多い。演奏家のレベル、大小をとわず…アマチュアもプロも半プロも音楽会といえばそのほとんどが、チャリティ・コンサートと称している。3分過ぎてもさっさと楽器をしまって帰途につく、あの計算高い日本のプロ・オーケストラの人たちに、いつからそんなチャリティ精神が芽生えたのか、なんとも不思議なことだが、震災のためといわれれば、断る訳にもいかず切符を買うこととなる。チャリティの行方については、誰も監視しているわけではないので、主催者の良心を信じているが、日赤に託された義援金は日赤の銀行口座で、いつまでも配られずに日赤のための利息を稼ぐこととなる。
 チャリティで嫌な気分になったのが、原発シニア隊…かって東電や原発の現場で働き、いまは余生を平和に送っている人たちが、福島第一のていたらくに我慢できず、シニア・ボランティアとして現場作業に加わろうという企てだ。その志には敬意を表するがどこか違う。
 技術は日進月歩だろうし、あの高温多湿の現場は老人の労働環境としてもっともふさわしくない。生きていても先が見えているし、自分達が創ったものだから、自分達が責任をもたねば、という理屈にもむりがある。アメリカのGEやらなにやらの設計のもとに、労働を提供しただけなのだから、貴方たちに責任はない。
 第二次世界大戦末期の神風特攻隊のような、国家主義的なヒロイズムを感じるのは僕だけだろうか。ここえきて万策つきた政府や東電がこの300人の原発シニア隊に関心をもっているというが、とても受け入れがたい。そんなことでは原発の冷温停止は夢のまた夢か。恐ろしい毎日である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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