ニューシネマ・パラダイス、デリカテッセン、ブロークン・イングリッシュ、初恋の来た道、山の郵便配達…どの映画も小さな映画館でみた。小さな映画館の暗闇で涙を流した。小さな映画館は単館系と呼ばれ、大きな映画館では上映されない良心的でマニュアックな映画ばかりを上映してきた。
その単館系ミニシアターが、ここへきてバタバタとつぶれている。年が明け、一月だけで七つの映画館がつぶれた。恵比寿ガーデン・シネマもシネセゾン渋谷もみな幕を下ろした。
学生時代には名画座と称して、見損なったりもう一度見たい映画を、安い料金で上映してくれる有難い映画館があった。池袋にも新宿にも渋谷にも銀座にも名画座があった。荻昌弘、筈見恒夫、淀川長治、津村秀夫らの映画評を片手に名画座に通い、見終わったあと夜遅くまで喫茶店の片隅で議論をたたかわした。モンタージュ論からヌーベル・バーグまで、生意気の限りをつくして名優、名監督をなぎ倒した。デートリッヒもジャンヌモローもアニタ・エクバーグも容赦なくこきおろして意気盛んな学生たちだった。
飛び出す3D映画とシネコンのお蔭で、映画界は空前の売り上げだそうだが、あんなものは遊園地にもおとる娯楽で、文化として語れる映画にはほど遠い、ただの映像エンターテイメントだと断じたい。かって高野悦子や川喜多かしこらの努力で始められたエキプ・ド・シネマ(映画の仲間たち)も金銭至上の擬似映画に追放されてしまうのかとおもうと断腸の思いだ。
あなたはミニシアター行く派ですか。それとも行かない派ですか。という設問に対し、ジブリのアニメは上映してるの? という質問を女子大生が返したそうだが、どこか根本的なところで間違っている、と嘆くのは年寄りの冷や水だろうか。
単館文化のたそがれ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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