南海トラフ巨大地震の必殺技

by

in

 大学の政治学概論で学んだ。
 時の権力が国内にてコントロール機能を失った時、いま風にいえば内閣支持率、総理大臣支持率がどん底になり、なんとか反転して、権力基盤を取り戻したい時になにをやるか。最良の策は、当面する政治課題以外のところに、緊張を作り出せばいい、という教えだった。そうすることにより、民衆の目は緊張する課題に移り、政治的危機は脱却できる、ということだった。
 いま野田内閣はどん底にある。
 原発問題で信を失い、マニフェスト違反の消費大増税に走り、韓国には竹島問題で挑発をうけ、尖閣では中国と東京都の挟み撃ちにあっている。ロシアからも北方領土の返還拒否という難問を突きつけられている。
 勘ぐりたくはないが、民主党の断末魔に登場したのが、「南海トラフ巨大地震」だ。作り出した緊張として最大の効果を上げている。金をかけたCGを制作し、防災担当大臣が物々しく被害を発表した。
 案の定国民の目は一気に南海トラフに移った。あれほど怒っていた消費増税も忘れ、大阪も名古屋も消えてしまう最悪マグニチュード9.1、20メートル以上の津波が話題の中心になつた。四国の黒潮町には34メートルの大津波で逃げ場所はどこにもない。想定死者数32万3000人、建物全壊238万6000棟、大阪、名古屋の地下鉄、地下街は全滅し、新幹線、東名高速もすべて破壊されるという日本沈没ともいえる被害予測だ。
 不思議なことに静岡県にある浜岡原発にはいっさい触れていない。 その当たりが、野田民主党内閣の仕組んだ大芝居を言われる所以だろう。
 選挙間近にしゃにむに突き進んだ、国民への目潰しでないことを祈るしかない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ