線状降水帯発生・記録的短時間降雨量・爆弾低気圧・河川増水氾濫情報・異常高温全国30か所予想・クーラーをつけて熱中症対策・首都圏異常渇水情報・竜巻発生予測……何十年と聞いたことのない天気予報が、テレビから毎日垂れ流される。
8月もなかばになって土用波がたつころには落ち着き、まもなく秋の訪れを感じるようになるだろうという期待はあっさり裏切られ、9月になっても天気予報は明日の最高気温は35度、来週も32度は続くでしょう等と、当たり前のようにしゃべっている。
近所のショッピング・パークでは、安手の日傘をぶらさげたり、風鈴のなるコーナーを設けたり、幼い子供の知恵に等しいアイディアでなんとか集客をはかろうとしている。
仕方ないので美味いものでも食べに行こうかと企むが、近頃はどこもかしこも予約制、その予約制も電話は不可、何日もまえにパソコンから混雑状況をチェックして申し込め、といった有様、客の当日または前日の食欲状態には応じてくれない。半月前または一か月前に何時頃何を食べたいか入力せよ、とは人間の暮しを超えた無茶苦茶な要求である。ディプロマの飾ってある自称フランス帰りのレストランなどに多くみられるとんでもレストランなのだ。
まもなく中国人がやってくるからオーバー・ツーリズム対策をなどと新聞にかいてあるが、日本人だけの今でも充分オーバー・ツーリズムなのが現状である。
自然に囲まれて暮らしていても、人間らしい自然な暮らし方は否定され、パソコンに山と積まれたシステム通りの半導体のシモベの毎日を実践しなければならない。
中国からのコロナに3年の貴重な時を奪われ、記録的短時間集中豪雨に夏を奪われ、パソコンに人間らしさを奪われ、中国人の大嘘に福島の平和を奪われ、本当にクヤシイ、政治家はクヤシクないのか、…… 総理大臣にトイタダシタイ。
半導体バブルの田舎暮し
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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