白髪一雄の宇宙のなかで、久しぶりというより半世紀ぶりの「具体」だった。
前年パリ・ムーランの仕事を終わってテレビ復帰したとき、恒例大晦日の歌謡大パレードのスポンサーとして登場したのが、吉原治良さんだった。
プロデューサーの私はその時、あの「具体」を立ち上げた吉原さんとは知らず、製油会社の社長が何故CMの打ち合わせに出席するのか不可解だった。
特別番組の制作費は出します、でもコマーシャルは強いて要らないという社長発言に当惑した。
それは困ります、CMはだしてください。CMがないと番組の体裁がととのいません。
それならばCMらしくないCMを出しましょう。既成のCMにあるテシニックは絶対使いたくない。
今にして思えば、それこそが具体美術運動の原点だったが、当時は「具体」にたいする認識はなく、それは関西に於ける美術団体のひとつだろう位の理解だった。
大晦日、歌謡大パレードの華やかな舞台の上に何本かの紐が張られた。中空に平行して、あるいは斜交して、上手から下手へ、奥から手前へ紐がはられた。
そこに吉原製油のサラダ缶が滑車を付けて走った。……ひと缶、ふた缶、それはまさにテレビのフレームを超えた自由なコマーシュルだったが、映像効果は全くあがらなかった。
それでも終わったのち吉原治良さんから招待があった。社長は歌謡のなかに無意味なカットが入って、とても良かった。吉原製油は狂っていると思った。
あれから半世紀、白石幸生ホワイトストーン・ファンデーション代表の尽力で軽井沢で第二回具体人協議会国際シンポジウムが開かれた。
香港クリスティーズに於ける美術への文化的投資の拡大、山村徳太郎による戦後日本美術の本格コレクション、「北斎」のあと「フジタ」と「具体」のみがヨーロッパに於ける美術の市場価値をもっている、という蓑豊や千足伸行氏らの基調講演も興味深かった。
文化に投資すると100倍になって帰ってくる、というルーブルの主張など、つい先々月の体験が甦った。
半世紀ぶり「具体」との遭遇
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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