シルバー・ウィークの始まるまえに、日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」にいってきた。
天候は雨と宣告されていたが、連休に入ると旅館も足も麻痺状態になつてしまうので、雨中決行の心ずもりで、福島の県境近く、茨城大子町の袋田をめざした。
関東平野の果てに名瀑あり、というのはなんとなく信じられない感もあったが、とにかく一見にしかずの想いで足をむけた。水戸から水郡線にのりかえて約一時間、駅前になにもない袋田の駅まで宿の女主人が迎えにきてくれた。
300メートル近いトンネルを進んで、初めて袋田の滝と対面したとき、その迫力に足が震えた。
流れ落ちるというよりは、巨大な岩を伝って落ちてくる水の圧倒的な迫力に押し潰されそうになった。
岩も想像をこえた大きさでこの袋田の地に落ちた地球外の生命体のようにも見えた。何千、何万の水の白糸がこんなに力強くあるということが信じられなかった。
軽井沢にある白糸の滝とは対極にある男性的で大陸的なスケールに充ちた大滝だった。
水しぶきに絡めとられた第一観曝台からエレベーターに乗って第二観曝台に移動、袋田の四段の滝の全貌が現れた。幅73メートル高さ120メートル、四段に落下する滝の多彩な表情が手に取るように見える。水の流れは、あるいは繊細に、あるいは野蛮に、あるいはダイナミックに水の無限の変化をみせて落下している。
この滝と北斎が出会わなかったことが残念だ、もし北斎がこの袋田の滝と対峙していたら、どんなにか
素晴らしい傑作をものにしていただろう。千住博を100人束ねてもかなわない北斎のタッチで袋田の滝を見たかった。
そう思いながら帰途についた二日間の滝行だった。
千変万化する巨大「袋田の滝」
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す