この週末が明けると「十三夜」である。
今年の十三夜は十月六日、台風のお蔭で少し欠けた十三夜にお目にかかれるかどうか、少し不安だ。
十五夜中秋の名月は、メディアでも取り上げられるが、十三夜についてはほとんど無視である。まん丸い形の割り切りにたいして、少し欠けた月への差別でもあろうか。
寸分欠けていない正円の月など面白くない。すべてこの世は何かしら不足がある。不足の美しさ、未完成の美こそ趣きがあって飽きがこない。
十五夜は中国からきた習俗だから、まん丸い月餅をみんなで食べて中秋節を祝う。
十三夜は日本生まれの習俗だから、少しゆがんだ栗を備えて後の名月を愛でる。盃に映った月や、池のおもてにゆらゆらと泳ぐ月にむかって祈る。月にむかって直接祈るのではなく間接的に月を愛でたところがいかにも日本的である。
お菓子のとらやさんには、万延元年の注文帳が残っている。皇女和宮さまから、十三夜の名月のための月見饅の注文があった。アナをあける目安に赤い丸のついた月見饅を納めたとある。その赤い丸に萩のお箸でアナを開けて十三夜の月を愛でたのだ。
「すべて何も皆、事のととのほりたるは悪しきことなり。し残したるを、さてうち置きたるは、おもしろく
生き延ぶるわざなり」徒然草82段 ここにも不足を愛する美学があった。
樋口一葉の「十三夜」では、望まれて官吏の妻となったおせきと、幼心に淡い恋をひめていた車夫録之助の未完の愛が描かれている。
十三夜の月の夜道を万感こもごもに歩き出す、交わることのない二人の影が心に残る。
十三夜の恋
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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