十三代目市川團十郎襲名披露のチラシが送られてきた。
A4判四枚がつながった細長いポスター状のちらしを開いてみた。片面には海老蔵と息子の写真4カットである。
期待してもう反面をひらいてみた。襲名披露の文字が75パーセント、残り25パーセントのスペースに外題がのっている。5月6月7月の3ヶ月に及ぶ興行には團十郎と新之助の配役しかかいてない。演目も勧進帳、助六、外郎売、暫、あとは7月の三部制のだけ、襲名披露を祝って共に舞台を盛り上げてくれる役者は一切のっていない。
團十郎、新之助だけで舞台が出来るわけではない。多くの名代、名人、上手が團十郎の大見得を引き立ててくれるからこそ、成田屋の華やかな舞台が成立する。
3ヶ月前になって、相手役も他の出し物も決まっていない筈がない。五月公演の昼の部が勧進帳だけの筈はないが、なにをやるか判らない海老蔵ゆえ、ひょつとすると自分の出し物だけで他は上演しないというとんでもない振舞いにおよぶかもしれない。
通常なら團菊祭なので、菊五郎さんも菊之助さんも出演する筈だし、夜の部の助六には仁左衛門さんも、玉三郎も出演するだろうしと、勝手な想像をめぐらすが、この派手なチラシのどこにもそんなことは書かれていない。
興行主の松竹の責任か、海老蔵の責任か、マネージメントの不遜かはわからないが、いずれにしても無責任なチラシにはちがいない。
さらに驚いたことに、その内容不明なチラシで予約をしてくれという態度である。担当者は親切に早くお日にちを下さいというが、海老蔵のことしか眼に入っていないのだろう。共に舞台をつとめる優れた役者の面子によって、劇場に足を向ける日もかわってくるという芝居好きの心情を忘れている。
松竹から海老蔵、マネージメントのすべてが、ツイッターのイイネの世界になっている。他の演目も明らかにせず、共演者も発表せずに予約をとる。これではアイドルの公演とまったく同じことだ。歌舞伎がイベントになってしまった。
競演してくれる先輩俳優にたいしてもこの上ない失礼なことだし、芝居好きの贔屓にたいしても非礼極まりない。
先代団十郎襲名の折は、一年も前から狂言、共演者もきまって挨拶まわりをしていた。
名跡襲名というものについて、こんなに軽くなったということをしみじみと感じさせる 十三代團十郎襲名のリアルである。
十三代團十郎襲名の軽さと非礼・歌舞伎がイベントになった
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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