北米横断の連想タイム。

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 DELTA1529便でJFK空港からLAS VEGASへ向かった。担当のフライト・アテンダントが異常な肥満体で、親切心はあっても外からみえない。飛行機のなかの狭い通路を歩かれるだけでも暑苦しいし、ナッツを貰っても「はい、2$」「チキン・ロールは8$よ」なんのことはない制服女の行商人、ニッコリとして「ハーイ、エンジョイ?」といわれても嬉しくない。
 眼の前のテレビには飛行機のイマが映し出されている。今どの辺かな、刻々と動くアメリカの地図を観ているうちに、記憶のなかのアメリカが浮かんできた。
 ケンタッキー…多分フライドチキンの本部があるな、オクラホマ…小麦畑のなかのミュージカルが懐かしい、メンフィス…石油の井戸はどの位あるんだろう? デトロイト…自動車の都、トヨタのあの騒動はなんだったんだろう、セントルイス…空港がトルネードにやられたけど、街は相変わらずジャズのなか? ラクロス…ラクロスは北米インディアンの儀式からと聞いたけど、ラクロスという街があったとは、ガーデン・シティ…さぞ美しい町なのだろう。オルレアン…少女にあいたい。バード・シティ…不覚にも中軽井沢の鳥のシャツターを思い出した。ダラス…教科書会社のビルから狙われる。アイダホ…遺伝子組み換えポテト。ネブラスカ…なんだかしつこそうだなあ。ラピッド・シティ…町は兎の穴だらけ、アパッチ・シティ…山の裾野の西部劇、アスペン…野外音楽祭に長野のおのぼりさんが押しかけたことがあったなぁ。ミネソタ…陽気な花売り娘、メキシカン・ハツト…目抜き通りには、きっと大きなメキシカン・ハットのネオンがついていることだろう。…… やがてステーキのロッキー山脈を越え、グランド・キャニオンを超えればラスベガスだ。
 この連想タイムはアメリカ横断の飛行機旅から退屈を忘れさせてくれた。ラスベガス空港に降り立って眼の前に並んでいたのは、スロットマシーンの誘惑だつた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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