北京五輪参加選手はスマホを置いていけ!

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 ……そして参加選手は中国国内では何も語るな。」
 アメリカ、カナダ、オランダなどの選手には、マイ・スマホに関して再三の注意事項が発せられている。
 グローバル・アスリート代表のロブ・ケーラー氏は、「参加選手にはなにも語らないことを進める。アスリートは帰国してから発言して欲しい。」 クロスカントリーの元米国代表ノア・ホフマン氏も「米国の五輪代表チームは、安全のため、人権問題の質問はうけないことになっている。」これらはいずれもアメリカのアスリートを守るための最低の条件であると、いっている。
 北京五輪では入國時に、MY2022なるアプリをダウンロードしなければならない。
競技進行のお知らせから、コロナの健康データ、音声チャット、気象情報、連絡事項あらゆる情報がこのアプリで完結している。が西側諸国のアスリートはこのアプリの致命的欠陥をしっており、プリペイド式携帯、または使い捨てコンピューターを使用し、自己の情報コンテンツがもれないように処置している。
 また食事の面でもかなりの注意が必要になってくる。
 「北京では肉を食うな、」というのも海外アスリートの常識だという。肉に成長促進剤が使われていて、ドーピング検査で引っかかる可能性があるというのだ。
 肉だけではなく、鰻、野菜、もやしなどでも多くの薬剤が使用されていて危険だそうだ。なによりの証拠に東京へきたときの彼らのオコナイを見ればわかる。食材からコックすべて中国から連れてきて、選手村では食事せず、自分たちだけの食堂を作っていた。普段自分たちのやっていることの裏返しであり、日本の食事が怖くてしかたなかったののだろう。
 競技の間にはゲームをやって暇つぶしなどという日本の脳天気な選手にくれぐれも携帯を持たしてはならない。情報はすべて抜き取られ、丸裸にされて帰国するのだ。何時どこで誰に迷惑がかかるかか判らない。中国はとんでもない監視国家なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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