映画のなかのパリを検証しようということになった。
戦前、1938年に名匠マルセル・カルネによって創られた「北ホテル」にまず敬意をはらつて、ジュマベ通り辺りのサンマルタン運河をめざした。
高速道路建設でいちどは埋め立てられそうになった運河は、映画マニュアの努力でいまでも立派に機能し、マイボートや観光船が行き来している。かって娼婦たちの踊り場だった小さな緑の鉄橋は、恋人たちに舞台を提供している。
若きピエールと恋人ルネがピストル心中を図った北ホテルは健在だが、いまではやる気のないカフェになって、貧しい若者たちの愛と憎しみの葛藤は、古い厚い壁にとじこめろられたままだ。
対極にある愛の物語は、ルイス・ブニュエル監督の「昼顔」(1967)にとどめを刺す。
医者ピェールの美しい若妻セブリーヌがマダム・アナイスの館で午後2時から5時までの娼婦を務める、そこから展開する背徳と妄想の物語だ。
なに不自由のないセブリーヌの家に行ってみた。モンソー公園近くのメシーヌ通り23番地、タイル・モザイクで作られた番地標識もゴージャスだが、オスマン様式の入り口も窓も贅沢感いっぱいの超リッチ・ハウスの典型だった。
美しいカトリーヌ・ドヌーヴが住む家として、この上ない質感にあふれている。夜はここで貞淑な妻を演じ、昼間はアナイスの娼館の売春婦となる。
まばゆいばかりの24歳のドヌーブは、当時若手監督のロジェ・ヴァディムの子供を産んだ未婚の母だった。18歳のブリジット・バルドーを手に入れたヴァディムは、彼女と「素直な悪女」をつくり、、ドヌーフ゛とは「悪徳の栄え」を、ジェーンフォンダとは…といった監督にして誉高い遊び人だった。その彼を愛するカトリーヌ・ドヌーヴが住む昼顔の館は、まさに虚飾にみちた背徳の仮面に相応しかった。
北ホテルと昼顔の館
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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