とらやさんから、立派な桧の箱につめられたお赤飯が届いた。
「2013年3月22日2982gの男児が誕生いたしました。 勸玄と命名しました。……孝俊 麻央」
成田屋十八番の勧進帳の「勸」の正文字をあたまに、物事の始まりを意味する「玄」をそえて、なかなか立派な名前だ。亡くなられた団十郎さんもこの命名を知っていたとのこと、成田屋の後継が宿命ずけられた男児の内祝いであった。
赤飯は日本人の食のなかで、もっとも重要な食だ。御祝い事から仏事、縁起直しと人生の節目に必ず登場するのが、邪気を祓うと信じられている赤飯だった。重陽、端午、上己など、ハレの日の食事に必ず蒸されたのが赤飯だった。女の子の成人した印もお赤飯はまだ?などとアイサツが飛び交った。今でも東山の石段下には鳴海やさんという赤飯専門のお店があるが、花街では舞妓の店出しから芸妓の引き祝いまでお赤飯の守備範囲は広く、和菓子屋さんの評価はお赤飯で決まるとさえ言われている。
箱根芦ノ湖の湖水祭では、昔の人身御供のかわりにお神酒に三升三合三勺の赤飯を添えて、湖底に沈め水神に捧げる儀礼があったが、いまも伝えられているだろうか。
成田屋の男児「勸玄」は、まず「お食い始め」「初節句」「お目見え」「初舞台」「襲名」と、お赤飯と付き合う宿命にあるが、邪気を祓って名優に育ってくれることを願っている。
江戸歌舞伎の宗家として市川家には、伝統演劇の伝承に大きな責任があるが、十二代団十郎亡き後、海老蔵の十三代団十郎襲名、勸玄の八代目新之助襲名と、無事に慶事がこの家に続いてくれることを祈りながら、お赤飯をいただいた。
勸玄(かんげん)内祝のお赤飯
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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