勲章なんかいらない。

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 「赤いきつね」と「緑のたぬき」というまでもなく、マルちゃんの焼そばにはずっと世話になってきた。夏の始めのバーベキューの締めくくりは、いつもマルちゃんの焼そばだった。ガーリック・スライスをしっかりとバターでいため、マルちゃんの焼そばに混ぜ込んで発地のキャベツとともにいためる。3人前というのもなぜか具合がよく、5.6人のバーベキューの締めくくりに3人前の焼そばを作るというのがとても按配がよく、少しずつ取り分けて庭食のけじめになった。ひとえにマルちゃんの粉末ソースの見事な加工技術のお陰だったような気がする。
 のちに経営を引き受けた酒悦の福神漬けにもずっと世話になっている。カレーの介添はここ何十年酒悦の福神漬け、福神漬けのないカレーは考えられない。
 その東洋水産の創業者である森和夫さんが話題になっている。21億円の退職金をみずから削って七分の一の3億円にしたというのだ。
 かって総理大臣だった森善朗から園遊会にでてくれといわれ断った。それに対し首相は「園遊会に出席しなければ勲章は上げられない」と言い、「勲章なんか、もともと貰う気はない」とかえしたそうだ。官尊民卑の勲章を有難る経営者は碌なものじゃない。勲章は拒否した人間のほうが偉いのだ。と彼は何時もいっていた。中山素平、杉村春子、新藤兼人みな勲章拒否の人々だが、いずれも肩書きで人を見ることなく自分の物差しで人生をつくった先人たちだ。
 勲章をつけたマルちゃんだったら、おそらくこんにちの東洋水産はなかったことだろう。築地魚河岸の片隅からスタートしたマルちゃんには、いつまでも江戸っ子の反骨精神を忘れず、美味いものを造り続けて欲しい、と願っている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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