こんなに横柄な態度で町を徘徊する番組はない。
空前絶後の映画スター上原謙と小桜葉子の伜として、三顧の礼で映画界に迎えられた若き日の二枚目は、そのまま時間が止まっているようだ。自ら経営に乗り出した湘南のホテルの倒産や、バブル期の失敗を経て、少しは生き方への反省から、成長したかと期待したが、全くの取り越し苦労だった。
ヒットしたかっての映画若大将シリーズは、あまり利口そうでない青年が爽やかに我がままを通す東宝得意のB級映画だったが、あの時の持ち味そのままにゆうゆう散歩している。
知らない街に登場した加山は、まずその街に深い関心をもたない。愛情がないのだ。
恐らく下調べとか予習は全くしてないということが、ありありとわかる。俺がいけば、みんな喜んでくれると勘違いしているあたり、なかなかのスター風情である。
公園の横を通っても、あぁ公園だ、の一言、かっての地位さんのごとくブランコに乗ることもなく、神社に手を合わせるでもなく、路地にはいろうとしない。スタッフとともに饅頭を食べようという心もなく、味見してよ、とおばさんにせまられても、嫌がって手をださない。
本人は色紙に「関心、感動、感謝」と書き三感王を狙うと言っているが、関心も感動もピントがずれている。ましてや感謝はどこにもない。時代の変化も、価値観の変遷も、人々の喜びも悲しみも彼には無関係なのだ。
尊大に上から目線で街を徘徊する、実に珍しい番組だ。
「おばあちゃん、握手してやるよ。これで長生きできるな。」素朴なおばあちゃんは笑っているが、毒蝮の「この死に損ないめ!」のほうが遥かに愛情に充ちている。
加山雄三というスターの今昔
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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