劇場型チャリティ?

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 不況の嵐が吹く巷に奇妙な人々が出没している。あちこちの福祉施設や児童相談所に新品のランドセルを置いて消える。マスコミが取り上げるに至って、ランドセルは白菜になり、ねぎになり、米になり、ついに現金になった。なかには地元のきびだんごというのもあった。
 始めは「タイガーマスクの伊達直人」と称していたが、すこしずつ拡大して「あしたのジョーの矢吹丈」を名乗り「肝っ玉母さん・越谷の京塚昌子」やら「岡山の桃太郎」「北アルプスの伊達直人」「遅れてきたサンタクロース」まで登場した。短い手紙に筆字のサイン、あるいはボールペン、しっかりとワープロで打ち込んでいるのもある。
 メディアでは恵まれない人々への小さな善意は素晴らしい。まだまだ日本人は棄てたもんじゃない。などとランドセルが置かれた景色を映し出して誉めそやすので、ついにテレビに予告しタイガーマスクの頭をかぶって登場する怪しいチャリティマンまで現れた。
 情報化社会というのは、反面自己顕示欲社会でもあり、「ひそかに」「めだたずに」といった日本古来の謙譲の美徳など蹴散らされてしまう。広告、宣伝めだってなんぼの仕事に若者たちが殺到し、広告代理店が憧れの職業となり、デパートではテレビコマーシャルのイベントに人が集まる。
 小さな善意は本来目立たずにおこなわれてこそのものだが、どうしたら目立つかというところに腐心した商業的善意がこのランドセル事件だろう。「足長おじさん」のものがたりは遠くへいってしまった。
 かって軽井沢アートコントラーダを企画した折、多くの善意の寄付を仰いで実施できたのだが、誰一人として広告を求めなかった。「広告のために拠金しているのではない」とはっきり言われ、とても嬉しく感謝したことを思い出した。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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