別荘族の無法地帯・軽井沢

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別荘族の無法地帯・軽井沢
 突然に反対車線からベンツが飛び出してくる。意味なく急ブレーキを踏む。普段、当然の駐車場の時計回りにゆうゆうと逆回りで乗り込んでくる大きな四駆。カーブの道で膨らんで走ってくるクラシックカー。狭い道に紛れ込んで動けなくなったママ・レクサス。
 縦の道も、横の道もきっちりと連なって、都会ナンバーのクルマがつまっている。オフ・シーズンには5分を予定すれば目的地に付くのに、サマーシーズンには30分とゆとりをとっても危ない時がある。
 混雑と混乱で夏の軽井沢はクレージーである。
 そこに天皇夫妻の御静養が加わると眼もあてられない。メイン道路の各信号に警官四人が張り付いて、赤にしたり、青にしたり、まったく普段の信号は無視、両陛下にご不便をかけまいと努力する。その分庶民は散々なめに合う。
 今年はそこに輪を掛けて、G7 交通相会合とやら、あちこちに交通規制がひかれてウレシイのだ。
 軽井沢の交通事情の悪さは道路だけにとどまらない。
 つるやというスーパーの中にまで混乱はひろがる。このスーパーは果物に始まり、野菜、干物、魚、そして肉類、牛、豚、鶏、さらに肉加工食品とグルリと周って、そのなかに豆腐、納豆、漬物類、などの秩序が守られて展示されているのだが、夏の別荘族はこの流れに逆行したり、飛び越えたり、乾物から急に肉類に突進したり、動き方の法則がわからない。
 欲望が散漫で、秩序にたいする心ずかいが全く欠落している。
 東京や大阪などの大都市圏からの人々が多いのだから、少しは公衆道徳や秩序に慣れていると思うのだが、全くそうではない。中国からのお客さんについで、わがままで不作法なのが別荘族なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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