若いお洒落なお母さんから聴いたお話し。いまどきの小学生の恋の冒険。勿論、はやくもグラマラスなカラダで早熟そのものから、鉛筆のようななにも知らない未熟児までいろいろな子供がいるので、いちがいに言えないが、概してそんなことあんなことの色々である。下駄箱から始まった恋、カードとチョコレートに託した恋、友達の義侠心に頼った恋、と今も昔も始りはあまり変わらない。意志が通じ合った子供同士がまず密かに足をむけるのは近隣の「ゲームセンター」だそうだ。そこで二人仲良くプリクラを撮る。ピース・サインと笑顔を合わせてナンカットかの共同作業。イニシァティブはもっぱら女子、少年はドキドキしながら作り笑いに冷や汗をかく。そしてお揃いのアニメのキーホルダーを買って秘密を共有する。心を確かめたところでアイスクリームのふたりとなる。今時の子供たちはかなりお金持ちなのでオコズカイに不自由はない。がここまでの行動はすべて学校から禁止されているので、隠密裏にことを進めなければならない。かつて僕らの時代は、初恋の女子の写真を持つことなど夢のまた夢でそれはよこしまな犯罪行為だった。放課後は友達の家に勉強をしにいく、というのが定番、塾のない時代には友達とともに宿題をし、解らなければキレイなお姉さんに教えてもらったものだ。勇気をだして公園に誘う。ふたつ並んだブランコに別々に乗ってゆっくり漕ぎながら、一番星が少しでも遅くなるよう願っていた。子供同士の会話はなくギィギィというぶらんこの音だけが耳にのこっている。目の前の池で漕ぐともなく漂っているボートのお兄さんお姉さんを見ながら、いつの日か僕たちもあんなふうな友達になるのかなあと漠然と思っていた。こうして考えると、むかし初恋にお財布はいらなかったが、いまはすべて財布の世話になっている。すべてこの世は金次第というのが、子供たちの初恋から始まっている。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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