初夢を見た。
2024パリ五輪のセーヌ河の開会式だった。
上流のオステルリッツ橋から、世界遺産のセーヌ河をエッフェル塔前のイエナ橋まで、6キロのセーヌ川パレード、…… 。
花と世界の国旗に飾られた160隻の船が、次々と下ってくる。バトー・ムーシュもバトー・パリジャンもみなそれぞれ参加国の国旗と選手を乗せて登場する。有料の仮設スタンドはポン・デザールからルーブル、オルセー美術館を橋望むカルーゼル橋セダール・サンゴール橋辺りと、イエナ橋を中心としたエツフェル塔界隈だけで、後はみな無料開放のセーヌ両岸だ。
5.6人の小さな代表団は小さな船で、数百人の大選手団はそれなりの大きな船で、大阪道頓堀川の歌舞伎船乗込みなど恥ずかしくなる程のスケールで参加国百数十ヶ国のインターナショナル船乗込みなのだ。
川岸を埋め尽くした人々の歓声が凄い。毎年7月14日の革命記念日(日本ではパリ祭)の前日に、シャンゼリゼー大通りで行われる観閲式の兵隊さんの船乗込みがあるが、この時のパリヂャンの盛り上がりが半端ない。河岸と川下りの兵士が一体となって歓喜の声を上げ、革命を喜び、セーヌが燃え上がるような興奮が両岸と船乗込みの兵士を包むのだ。 あの7月14日の歓喜が何百倍になって帰ってきた。
世界中の国旗が集まって喜び合う人間の祝祭があった。サブスクと漫画音楽と吹き出しのプラカードででっち上げた東京五輪など恥ずかしくて口にもだせない。空には三色旗が飛び交い、五輪のマークが描かれ、無数に飛ぶドローンからは花の嵐が降り注ぐ。100万人が参加した史上空前の開会式だった。
開会式の終りと同時にコンコルド広場では、スケボーとブレイク・ダンスの競技が始まっていた。いつもオベリスクの横に立っていた黄金の女王ネフェルティティの乞食は、何処でどうしているのだろう。 ……そこで初夢はさめた。
初夢・パリ五輪セーヌの開会式
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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