初めてのヘアヌード「裸のマハ」

 西洋の美術史上はじめての陰毛の描かれた女性ヌードこそ、スペインの宮廷画家ゴヤによって描かれた「裸のマハ」であった。
 等身大の「裸のマハ」は映画化され、切手になり、貨幣にもなっている。
 それまで女性の裸はあったが、二次元の絵画ではなく、立体彫刻としての女性神ばかりだった。
裸のマハ.jpg
 それ故「裸のマハ」は長い間人目を避け、同じサイズの「着衣のマハ」に隠されていた。
 時の首相マヌエル・デ・ゴドイは心を許した親友の訪れたときにしか、この作品を披露しなかった。
 彼の最も大切なコレクションこそが、「裸のマハ」だったことがわかる。親友の訪れに彼は「着衣のマハ」は吊り上げ、その下の「裸のマハ」に光を呼び込んでいた。
 粋なはからいといえばいえるものの、そのモデルが宰相ゴドイの愛人とあれば、親しい仲間たちも心中おだやかでない。
 このゴヤの秘密の絵画の存在はたちまち宮廷内にひろがり、ゴヤは審判院にたびたび呼び出されこととなるが、彼はけっして口をわらなかった。
着衣のマハ.jpg
 晩年ゴヤは、ベラスケスとともに宮廷画家の最高峰に上り詰めたが、その権力に疑問をもち自ら黒い画家への道を歩む。
 そして生まれたのが、わが子をかじるあの恐ろしい「わが子を食らうサトウルヌス」である。
 プラドー美術館の黒い部屋の一隅に飾られたこの作品の前にたったとき、金縛りにあったようにフリーズした自分を思い出す。
わが子を食う.jpg
 7月16日(日曜日)2時からの 軽井沢ぶんか組七夕では、「西洋名画うらよみ」と題してルネッサンスからバンクシーまでの西洋絵画の名品をたどります。
 
 会場/軽井沢駅北口東雲東入る150mCafé来美 要予約 0267-31-5110 Ms.sumibo


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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