軽井沢は田舎なのだ。
名物といえば野菜位、だから別荘の人たちは夏の終わりには、スーパーつるやに車を寄せ、どっさり野菜を仕入れて都会に帰って行く。普段でも農協直営の野菜市場は人気があり、粗末な小屋ながら買い物の人の足は絶えることがない。
政府はいま地域振興大臣をおいて、田舎の振興に力を入れている。
なんとか若者をUターンさせ、地域に住んでもらおうと躍起になっている。北信濃のある村では、若者のカップルには家を提供し、そのうえ農地までも提供して、是非うちの村に来てください、とアピールしている村もある。
役場主催の婚活パーティーもあり、都会の娘さんを獲得せんと地元の男子に気合を入れているが、一方でこの流れに掉さす事象が次々と起こっている。
病院から産科医がいなくなっているのだ。
若い夫婦が妊娠しても、出産できないという現実がまっている。軽井沢病院にも産科医はいない。何年か前まではベテランの先生がいたが、患者の医療事故訴訟以来すっかり産科医の先生方に嫌われ、誰も軽井沢にはきてくれなくなった。
北信濃唯一の飯山赤十字病院でも、来年の四月からお産の取扱いを休止すると発表された。
村のプラカードに誘われ、移住してきた若い夫婦は途方にくれる。地元に産科医がいなければ、再び大都会に戻るしかない。
こんな片手落ちの地方振興策はない。省庁の壁を取り除き、大学の産科学生をふやし、そうした不安のない教育プログラムを組まなければどうしようもない。
中期地方振興策の第一歩はまず医大の産科学生枠を大幅にふやすことだ。
分娩させない田舎の事情
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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