有島武郎は、美貌と才気に恵まれた中央公論の編集者、波多野秋子の奔放な肉体を前に、精神は破綻し愛欲に溺れる自分に絶望し、軽井沢三笠の浄月庵で死を選んだ。
芥川龍之介は、ぼんやりした不安の中で、毒を飲んで自殺した。
三島由紀夫は堕落した戦後日本に絶望し、武士道の再興を叫びながら切腹して果てた。
川端康成はノーベル賞まで手にしながら、文学の明日と愛の地平に殉じて自死した。
不器用で心の弱さに敏感な詩人や作家たちは、生き続けることを遮断し、自ら死を選ぶことが多い。近頃の子供たちの自殺の報道に接すると、思い出すのは一人の詩人の自殺だ。
彼はいつも対人関係にびくびくし、日常生活にも臆する幼児のようであったと言われている。三田文学の編集にも携わってきた原民喜だ。民喜の作品にこんなのがある。
僕は堪えよ。 静けさに堪えよ。 幻に堪えよ。 生の深みに堪えよ。
堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。
一つの嘆きに堪えよ。 無数の嘆きに堪えよ。
嘆きよ、嘆きよ、僕を貫け。 帰るところを失った僕を貫け。…
瀕発する子供たちの自殺に、聞き取り、アンケート、調査委員会がもっとも有効な防止対策と言われているが、先生や親たちの人生観の浅さや世界観のなさが、子供たちの自殺を拡大しているのではなかろうか。
正面から生きることを語り、社会の不条理といわないまでも、様々な人間模様を語れる教師や親たちがどれだけいるか、ひどく疑問に思っている。大人の脳みその堕落が、子供達を分別なき自殺に追い込んでいる。
分別ある自死、分別なき自殺
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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