凶悪ヒグマを応援する動物愛護

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 21世紀最大の凶悪ヒグマといわれてきたOSO18がようやく駆除された。
 このヒグマは2019年7月に目撃されて以来、もっぱら乳牛を獲物にし、30頭以上の乳牛の命を奪ってきた。釧路湿原のある標茶町や厚岸町など、道東の酪農家にとっては、ロシアのプーチンのような存在だった。
 ヒグマOSO18.jpg
 クマは一度覚えた餌の味を忘れることなく、繰り返し標的を襲う。よほど乳牛の肉が美味かったのだろう。
 多くの酪農家にとって頭痛の種だった凶悪のヒグマ問題だつたが、思わぬ事態が発生した。
 本土の動物愛好家と称する人達からの抗議電話の嵐に襲われた。
 「何故殺した。人間と同じ動物じゃないか!!」「可哀そう、クマにも愛情はあるのよ。」
 人間と思えないオバカな抗議電話に役場はふりまわされた。何年も探し続けてようやく駆除できたのだから、褒められて当たり前がなんと人非人のような扱いになってしまったのである。
三毛別人食いヒグマ.jpg
 軽井沢でも一時呆れた事件があった。
 売出し中の星野リゾート(筆者は全く関係ない) が泊り客の出迎えバスに大きなヒグマの絵を描いて、「動物との共生」をキャッチに商売をしていた時期があった。
 当時町のあちこちにクマが現れ、夜は安心して歩けない状態だったが、街中の商店にも現れるようになってようやく町も重い腰を上げ解決した。
 星野リゾートはベアドッグなるクマ監視犬をカナダから買い付けてきて、自分たちの宿泊施設だけの番犬にしていた。町はその犬の買付に何千万円の補助金をだして体裁をつくろっていた。
 あの時も町内に住む動物愛護の心に充ちたバカなおばさん達が、役場に押しかけて動物との共生を訴えていた。都会の女子大出身の別荘夫人は取り扱い注意、ペツト犬とクマを一緒にする動物愛好家の低能ぶりにはまったく迷惑する。
 以来愛犬・愛猫をかかげるニセ動物愛護家たちを、慎重に分別するようになった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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