写真展のきずな

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 軽井沢エキ展「発熱するニューヨークの自然」も無事一週間の終わりを迎えることができた。多くの仲間からお盆の最中にやるとは何事というお叱りをいただいた。が終わって見ると思わぬ方が足を運んで下さって、あらためて先輩後輩友人のきずなを噛みしめた。
 芦田淳、友子ご夫妻がいちばんに現れた。立派な花をいただいたので入口に置いたところ、目立ち過ぎるからやだ、団十郎さん菊五郎さんと同じ花にして、という注文。折から花市場の夏休みにぶつかりちょっとした騒動だった。市川團十郎、希実子夫妻が小泉正也夫妻をともなってこられた。眼光鋭く成田屋のオーラがギャラリーを圧した。池田龍雄さんは、小林一夫、大山美信さんを伴って現代美術の空気を運んでくださったし、ガラスの足立煉さん、陶芸の猪狩喜永、藤本勉、三浦清司、杉森カツジさんはひょうひょうと、出産間もない清水冨美さんは赤ん坊を胸にだいて見に来てくださった。作家の松井今朝子さんはわざわざ写真展に合わせて乗馬をアレンジ、山口路子さんはライターの小川聖子さん、講談社の岡部奈央子さんとともに来輕、往年の日活スター笹森禮子さんは「一枚一枚が重すぎる」とつぶやき、東映の峰みどりさんは「面白かった」と一言いい置いて帰って行った。
 軽井沢の新しい顔、藤巻町長、大林議長、篠原副議長、なにより文化に理解のある内堀議員、土屋観光協会長、沢崎ウェディング協会長など、この町のエンジンの皆様が足を運んでくださったのも嬉しかった。
 二期会の木村珠美さん、子育てに奮闘中の原晴子さん、髪をバッサリ切ってイメージ一新の杉原桐子さん、さらにモダンダンスの大御所芙二三枝子さん、吾妻流家元の吾妻徳弥さんと遠くから足を運んで下さったことに感謝、遠くからといえば2010年の軽井沢ラブソング・アワードで100万円獲得した明石の藤井サワさんもわざわざ来られた。東京でショウの演出をしていた頃、いやというほど付き合った岡本妙子さんが、西山紀子さんに伴われ30年前と変わらぬ顔で現れたのも衝撃的な出来事だった。鈴木研司さんと佐藤泰春さんが旧知の仲だったり、桜の木の岩関会長社長、銀座浅見の女将晃子さん、たんくまの宮社長、ベリタスのファリーダ・ラーマン、アルマーニの六角泰子さん、いのうえまきさん、石川桂子さん、みずから花を抱えてこられた三井住友銀行の前田支店長さん数え上げたらきりのない方々に世話になった。それからギリギリに飛び込んでこられた池坊保子さん、必ずもう一度来るからと言い残して帰られたが、スタッフはあれは政治家のセリフと頭から信じていなかったが、のちに身内の不幸でと丁重な手紙をいただいた。辛口の金美齢さんや、右寄りの岡崎久彦さんに見ていただいたのも収穫だった。朝日の馬田さん、フレームマンの奈須田さん、内藤憲司さん、高橋亜矢子さん、それに花の面倒を見てくださった小林ノリコさんに大感謝。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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