再びブルカを着るアフガニスタンの女達

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 アメリカの意としたアフガニスタン民主共和国は失敗し、タリバンによるアフガニスタンイスラム首長国が勝利の宣言をした。
 ついこの間までミニスカートやタイツをはいていたアフガニスタンの女達は、イスラム原理主義のタリバンによって、全身を黒い布で覆うブルカに戻るのだろう。男達も戒律によってすべて髭を蓄えなければならない。
 何故全身を覆うブルカに戻るのか。全身を布で覆い男たちの視線を一切シャットアウトするのか、そこにはそれなりの理屈がある。西側の人々にとっては女性を布で包んでしまうファッションは、到底理解できない。
 がイスラムの聖典によれば、女性は宝石であるから、美しい部分を人目にさらしてはいけない。慎み深く眼を下げて、胸を隠し、陰部は大事に、本来女性は男性より美しいのだから、人前に出る時はかならず その美しさを隠さねばならない。男達は本来性的魅力に弱いので、その目線から逃れるためにもブルカで全身を覆うのだ。
 ブルカは女性を美しさではなく、心や才能で評価するファッションなのだ。太い足も見えない。胸の大小もわからない。ウェストのクビレもみえない。ブルカによって女性は外見で差別されなくなるのだ。
 日本一エロイわたし、完全なるパンチラ 等々キリスト教支配下の日本では女性たちが、あたり前のように肌を見せ、Tバックをみせ、泡だらけの挑発を繰り返し、劣情を挑発している。人格や才能は横に置いて、裸で勝負といった女性が多いのだ。
 本当に女性たちはシアワセなのだろうか。タリバンのいうように女性の美しさを男性の目線の外においた方がいいのではないか、とさえ思ってしまう昨今である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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