東京駅にタクシーで乗付る客は皆怒っている。
八重洲口ではつい最近まで停車する場所がなく、危険をとして道端で降りていた。すれすれにクルマが走っていくので危険きわまりないが、ほかにクルマから降りれる場所もなく、仕方なく道端で降ろされていた。ときに警官がきて、そこに止めるなと摘発していたこともあった。
工事は数年つづき、このほどようやくグランルーフとかで工事完了を迎えた。遠目には立派な東京駅八重洲口が完成した。さて安心して利用できると、タクシーで東京駅八重洲口を告げた。
「お客さん、申し訳ありませんが、ここで降りてください」えっ、八重洲口は立派に出来たじゃないか、「そうなんですが、タクシーの降車場には一本の道しかなくて、いま観光バスが入ったので、あそこには入れないんで、申し訳ありませんが、ここで降りて歩いてください」仕方なく雨のなかバックを引きずって濡れ鼠でみどりの窓口へたどり着いた。
東京駅はタクシーで駅に来る客に恨みでもあるのだろうか。
東京駅は東京の玄関口だし、もっといえば日本の玄関口でもある。構内にラーメン屋や土産物屋を作ることには熱心だが、その駅を利用する乗降客のことには呆れるほど無関心だ。余計なオブジェなど飾って厚化粧するよりは、乗降客への至便を考えて作ることがはるか大事なのだ。
屋根のある乗降場所があれば、雨の日でもゆっくりと利用でき、愛されるJRとして皆が喜んで利用する、そんな単純なことも解からずエキビルの商売にばかり力を入れていればいつか客の心も離れていく、という商売の原理原則が判っていない。
八重洲口で雨の中トランクを引きずって歩く、ずぶ濡れの外人観光客をみると、この国のオモテナシはまだまだの思いがする。
八重洲口に客はみな怒っている
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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