四年振りに「八朔のご挨拶」が復活した。
この日祇園花見小路は、八朔のご挨拶にでかける芸妓さん、舞妓さんで華やいだ。
ちょっぴり透けた絽の黒紋付の正装が、それぞれのお姉さんに連れられて門前のおしょ(師匠)さんにご挨拶、その後はお茶屋さんをまわり、御贔屓筋をまわって「おめでとうさんどす……よろしゅうおたの申します」。お姉さん方にも同輩にも、この町で日々すこしでも世話になっているお家にはご挨拶をする。
コロナのお蔭で何年か絶えていたので、舞妓さんのなかには初体験の娘さんもいる。絽のきものの正装など初体験なのだ。
京都には五つの花街があるが、八朔の行事が伝承されているのは、祇園甲部だけである。
五つ紋の絽の留袖にかすかに透けてみえる襦袢の模様、かってサンローランがその美しさに驚嘆したという。
今時のシースルーのファッションなど、足元にも及ばない妖しい魅力がこの八朔の日の正装である。
古来、瑞穂のくにの農民は早稲の穂が実ると、その初穂をもって御恩になった方へ贈る習慣があった。
「田の実の節句」といって感謝のまつりだった。
その慣習を室町幕府が公式に取り上げたことから「八朔のご挨拶」が始まる。
「朔日参り」はツイタチ参りともよめ、町衆は家や土地を守ってくれる氏神に詣でるようになった。
家康も縁起をかついで1590年天正18年の八朔の日に江戸城入りをしたので、大名たちは8月1日を八朔の礼として参内して祝いをのべた。
猛暑のなか、いまでは化石のごとき「八朔のご挨拶」だが、せめて祇園町にはずっと残してほしい良き習俗である。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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