夏の「おいど」は元気になる。
冬のあいだ、かくまわれ、大事にされてきた「おいど」が突然に存在を主張し、誇張して、見せつけてくる。もう「おいど」ではない。「ヒップ」というべきか。舶来品のごとき表情をうかべ、堂々として羞恥心を失い、生き生きと存在をあからさまに動きまわる。
花見小路よりは、原宿竹下通りが良く映る。ついこの間まで子供の領分だったショート・パンツが、若い女性に奪われ、ストリート・ファッションに変身する。
男どもはその危ない短さに、目線をかき乱されながら猛暑の時間を過ごす。
京都では、尻とは言わず、ケツとも言わず、「おいど」といってきた。昔は御居所とかいて、いどころ、座るところを現した中世の女性語だといわれる。 おいどは優しく、色っぽいところがステキなのだ。
「おいど」をもっとお下げやす といわれれば、京舞井上流のお稽古ときまっている。お尻をさげ、やや中腰のていから舞が始まる。東京の流儀舞踊はほぼ腰高の位置から始まる踊りだが、京舞は御所のしきたりと座敷舞の優雅さが主役となり、腰を降ろした様が基本となった。
日本の踊りの中では、沖縄の踊りが同じ「おいど」を降ろしたポーズが基本になっている。
能と京舞と琉舞が共通の目線をもっているのが、面白い。
「大きいおいどやこと」ケツの穴が小さいといわれるより、ずっといい。尻にしく、尻が重い、ケツを割る、オイドに関する表現は多々あるが、単純に下品とは言い切れない多様な意味を含んでいる。
池田満壽夫さんは「お尻の美学」をかいて、おいどの魅力に注目した。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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