光源氏が勅使をつとめた葵祭

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 今頃は京都で「葵祭」がひらかれている。
 葵祭は「賀茂祭」ともいわれ、都ではもつとも古いまつりでもある。祇園まつりが町衆のまつりだったのに対して、葵祭は朝廷と貴族のまつりだった。
 御所と下鴨神社とそして上賀茂神社を結んで行われるこの祭りは京都の歴史と深いかかわりがある。
 まつりの先頭をつとめる勅使には、光源氏がつとめたという故事もある。
 源氏物語には葵祭の斎王列を見物しようと、光源氏の妻葵の上と六条御息所が、都大路で牛車争いを演じた場面が登場し、女性の恐ろしさを始めて歴史から学んだ。
 祭りには宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀とあるが、朝廷と賀茂氏との因縁から始まったところから、内裏の御簾、御所車、衣冠、牛馬などすべてに二葉葵の紋が飾られ、王朝風俗をいまに伝えている。
 徳川の家紋・三つ葉葵もこの葵祭の神紋に由来すると言われている。
 筆者も30数年前、いまは世界遺産となった上賀茂神社の御本殿で挙式した。相方が上賀茂神社にこだわる意味があまり良く理解できなかったが、のちに都の一之宮であり、京都人にとっての絶対的守護神と理解した。二つ葵の由緒ある打掛がよほど嬉しかったのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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