夏になると「ひまわり」の写真が撮りたくなる。
八ヶ岳南麓の北杜市明野のひまわり畑は中日本随一のスケールと手入れで、60万本のひまわりが咲き誇る。先年デスクが現地へいき、細かい情報を入手してきたので、夏休み前急遽撮影にいくことになった。デスクは毎日、開花状況をチエックし、お天気を気にして金曜日なら大丈夫、午前中明野は晴天ですと、結論をだした。 朝6時軽井沢出発、8時に明野につけば、駐車場も確保できます、とのこと。
どうせ山梨までいくのだから、もうひとつ何か欲張ろうということになった。
ふとひらめいたのが、33年前テレビ朝日が「探検レストラン」なる番組でプロデュースした、小淵沢の駅弁「元気甲斐」のその後であった。その番組でかかわったいろいろのなかでも、元気甲斐はかなり話題をよび、駅弁を超えた駅弁として人気を呼んだ。があれから33年も経っていれば、消滅しているかもしれないし、残っていてもなんの面影もない別のものになっている可能性もある。
ネットでみたところどうやら元気甲斐は生き残っていた。電話をすると小淵沢の駅弁売り場で朝10時30分以降なら受け取れるということだ。ひまわり撮影を9時半に終わらせ、小淵沢駅に直行、駅弁を手に入れて軽井沢に戻れば、12時半には冷房完備でゆっくりと元気甲斐を、という予定をたてた。
ヘタウマの画家安西水丸による包み紙はそのままにのこっていた。八ヶ岳の麓をヤッホーとばかり走る機関車、八つの山の海抜と名前が丁寧に描かれたイラストは、心温まる素朴で稚拙なタッチが嬉しい。製造元は山梨唯一、大正7年創業の駅弁屋丸政。
田舎では珍しい二段の折詰め弁当、一の重は京都の料亭菊乃井さんの工夫、二の重は東京味処吉左右の工夫、東西それぞれの料理人が競っている。
蓮根のきんぴら、山女の甲州煮、ふき・椎茸・人参の旨煮、こんにゃく味噌煮、カリフラワーのレモン酢漬、ぜんまいとお揚げの胡麻和え、セロリの粕漬を添えたくるみご飯の一の重は、さすが京都の料亭らしく、薄味ながらそれぞれの食材の味が際立って、これは美味いの評価だった。
二の重では栗とシメジのおこわがベースなのだが、鶏の柚子味噌和えがやたらに大きくバランスを崩し、豚肉巻きのアスパラも細いくせに固く、神経が行き届いていなかった。わかさぎの南蛮漬けと山午房の味噌漬けは無難。
これなら一の重だけをさらに工夫してして元気甲斐を存続させたほうが、いいのではないか、というのが結論だった。
元気甲斐のその後……
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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