「こちらご高齢ですから、町の避難所にお移り下さい。」「はい、有難うございます。でも、うちは大丈夫ですから。」
「町からの指示がありまして、風越の体育館に避難所が開設されています。是非そちらへお移り下さい。」「有難うございます。あとは自己責任で頑張りますので、どうぞご放念ください。」そんなやりとりを繰り返し、覚悟をきめて自宅にいた。
崖のうえの我が家は庭の土地が崩れたら終わりだが、川からは遠く洪水の恐れはない。裏山が崩れるとか、目の前の斜面が崩れなければ安全である。何の根拠もないが、祭の取材で遠山郷などに出掛けた時、まま徹夜になると近所の公民館が解放される。徹夜の祭りのなかで仮眠をとるが、公民館の板の間はバツゲームに近い。毛布一枚で板の上に寝ると、あと三日間は身体じゅうが痛む。その痛さを知っているのでどうしても避難所は避ける。
相方は遠くの知人やら、お弟子さんの電話でホテルを勧められ、その気になっていたが、ホテルも先の見えない天災では備蓄も少なく、簡単には泊めてくれない。町内のレストランも暖簾を降ろして休んでいる。停電と断水に襲われては、カフェも開店休業。美容院もボイラーが焚けないのでお休み。予約してあった寿司やのママから、「どうしましょう、命を守る様にと言われているときに、お寿司でもないでしょう。うちは構いませんのでキャンセルになさいますか」有難い電話である。
間もなく紅葉を迎える森のヤマウルシ、ナナカマド、シラカンバ、そしてイロハモミジ……紅葉狩りにくる友人に時を合わせて紅葉で迎えられるか、と見上げる不安に、「停電なのでスマホの充電にソケット貸して」という現実にハタと近所の倒木に想いが戻される。
雪に弱い軽井沢に、近頃では台風に弱い軽井沢がくわわった。森のあちこちに異常に樹木の好きな都会人がいて、倒木の迷惑や折れた木の電線切断もかまわず権利を主張する。困った風潮だが行政も手がでない。遠くの都会から木の好きな住人がベンツで戻るまで、中電も町の責任者も待つしかない。そのうえ、この倒木は最愛の木だから、知らない業者には切らせない、そんな別荘族がいると聴いてはなんともやるせない。
中国、ロシア、北朝鮮、周りから核ミサイルを向けられていても、国防軍を認めないオバカな日本人と、双璧をなすオバカな都会人である。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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