偏差値エリートに慄然とする。

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 友人の女子大教授が嘆いていた。 
 彼は世間的にも優秀な子女が入学すると思われている女子大学の先生なのだが、かって抱いていた女子大キャンパスの空気は絵空事になってしまったと、いうのだ。そんなことはないだろう。若い女子学生と日々ともに過ごせるというのは、それだけでもシアワセと云うべきではないか、といったところ、とんでもない近頃の偏差値エリートというのは、と散々こぼされた。
 とくに女子偏差値エリートはどうにもならない。数少ないレポートにたいして、欠点を指摘し、書き直しを要求すると、突然に泣き出す。先生はひどいと、被害妄想になり、私はいままで怒られたことがないと、見当違いなことをくちにして泣きじゃくるというのだ。うっかりそこで優しい言葉でもかけようものなら、やっぱり先生はセクハラしていると開き直られる。なかには色仕掛けで単位を取りに来るモサもいる。見事にひっかかって職を失った同僚もいるという。
 教授たちはみずからの身を守るために、生徒に近ずかない。近ずけさせない。いきおい授業は担任の枡をうめるだけの紋切型の授業になる。ヴィデオ配信のあじけなさが当たり前になり、教師に情熱はいらない。 エリート学生に著しいのは、常識がない、文字を知らない、言葉をしらない。敬語がわからない。礼儀をわきまえない。歴史をしらない。それでいてバイリンガルというのだから始末が悪い。
 おおかた極端なナルシズムに陥っていて、親姉妹、家族、キャンパスすべては私のためにあって当たり前、相手の心をよみとる能力もなければ、読み取ろうという努力もしない。誰がこうした学生たちを作ったのか不思議だという。卒業式の日、突然ムラサキの袴で登校する美しいエリート学生を前に、近い将来この女子たちが社会の中枢をコントロールするのかと思うと、慄然とするそうだ。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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