偉い人がわからないカタガキ・ジャングル

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 演出という仕事をしていた。テレビの初期には演出はひとりしか存在せず、英文の名刺には、ディレクターと書かれた。ドラマのタイトルには、当然のごとく演出はひとりしか表示されず、その後は制作のタイトルだった。制作はプロデューサーである。
 ところが今日只今のテレビをみると、ディレクターが五人、六人と連なっている。寄ってたかって分業化していると思えば、その後に演出というタイトルがでてくる。とにかくタイトルだらけで、誰が責任をもってやっているのか良くわからない。肩書が多すぎて混乱する。
 銀行がご挨拶にみえる。三人のホワイト・カラーである。名刺をいただきよく見ると、「副支店長」「支店長代理」「課長」とある。誰がいちばん偉いのかわからない。ある日、追いかけて「部長」「部付部長」「上席推進役」が現れた。クイズ問題、さあ偉いのは誰でしょう。
 広告代理店と顔合わせのミーティングがあった。「アカウント・スーパーバイザー」「アカウント・ディレクター」「アカウント・マネージャー」「アカウント・エクゼクティブ」どっちを向いて話をしたらいいのかまったくわからない。会議の終わるころ、ようやく目の前の人ではなくあっちのすみに座った人と、お話をしなければいけなかったと気が付く。
 団塊の世代が働くようになって、モチベーションをもたせるため、やたら肩書がうまれた。部下のいないグループ長やら、新入りひとりのチームリーダー、とにかく団塊の世代は肩書にこだわる。
 いつかは「社長」めざして働いた若者も、いつかは「CEO」、いつかは「CFO」「CIO」「CCO」「CSO」本人にも何がなんだかよくわからない。結局、僕は「You Tuber」になります、という不思議な職業が発生するのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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