信州ブランドのとらふぐ

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 「ふぐは食いたし、命は惜しし」  冬になると、ふぐが恋しくなる。
 大皿に花が咲いたような薄造りのふぐ刺しを、無造作に箸ですくって食べる。花芯にもられた皮刺しに箸が移ると、ゼラチン質の食感がたまらない。白子焼き、唐揚げを経て、ふぐちりとなる。ふぐには、旨味となるグルタミン酸、イノシン酸、タウリンなどが多く、だしを入れなくとも充分に甘味とコクがでる。骨についたふぐの身は極上の旨さだ。最後のおじやまで、ふぐは味覚の天国を提供してくれる。
 下関、長崎にかぎると信じていたふぐが、信州で名乗りをあげた。
 遠山祭りでいくたびか足を運んだ南信州かぐらの湯で養殖が始められ、先頃、試食会が開かれた。かぐらの湯の塩分濃度が0.78で、海面養殖の0.8に近く、陸上養殖にたいへん向いているそうだ。味は優るとも劣らないというから有難い。海のない山国で海水魚を育てるのは、いささかの不義も感じるが、いまや食用魚の25%近くが、陸上養殖とあれば、しかたのないこと。水質管理がいきとどき、自然界に負荷をかけないのが、陸上養殖ときけば、なにもない遠山郷の水産業としても干天に慈雨かもしれない。
 飼育密度が高く、成長の速度も速く、色だけが黒グレーではないグレー緑、あとは発癌物質のフォルマリンに手を出さないで育ててくれたら言うことなし。大阪では当たると死ぬということから、鉄砲と呼んでいるふぐだが、不遇ではなく福とよぶ下関になぞらえて、「信州のとらふく」が生まれることを期待している。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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