信州の政治家ワースト・スリー

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 長野県民は誇り高く、信州教育の名のもとに、自分たちは優れた人間であるという自負にあふれている。
 が、これを政治家に見た場合、信州出身の政治家は共通の脇の甘さをもっている。
 その一は「羽田孜元内閣総理大臣」、御人好しなのか、政治に対する夢をもっていないのか、それとも第三の思想があったかよく判らないが、短命に終わった。 小沢が考え、羽田が踊る、政治とはそういうものだと、自らを貶めた志の低さは見事だった。
 その二は「田中康夫元長野県知事」、まず知事室を県庁の玄関脇に移し、自らを晒して人気を得ようとした。住所を県内の彼方此方に移し、僕の税金はその村に収めると、なんとも理解し難い行動にでた。劇場型症候群で、ガードレール木質政策は結局バラバラ不統一のままに終ったし、県内温泉の源泉疑惑を華やかに告発して名を挙げたが、結局源泉垂れ流しのコピーだけが残った。反コンクリート宣言でいかにもの姿勢をみせたが、県の生産性を全国ワースト・テンまで落とし、県民を破産寸前まで追い込んだ。
 第三は「猪瀬元東京都知事」、いつも威張るというなんとも前近代な田舎者まるだしの姿勢が印象に残った。徳洲会に金を出してもらうのに右翼の世話になったり、生活費と選挙費用がごちゃごちゃだったり、鞄に幾ら入るか実演したり、この人の神経を全国民が疑った。
 政治は群馬県に譲って、信州人は田舎の文化に特化したほうが良いのではなかろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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