何故流行る「マネキン・チャレンジ」

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何故流行る「マネキン・チャレンジ」
 トランプ・ショックで、全世界の指導者がフリーズしているさなか、フロリダの高校生から始まった奇妙な遊びがアメリカ中に広がっている。
 生活のある瞬間、そこに加わっている全員がストップ・アクションする。フットボールの盛り上がった瞬間だつたり、スーパーマーケットのお買いもの中だったり、5番街のお散歩中だつたり、意味もなく全員にストップモーションがかかる。
 その環境にいる人間すべてが、フリーズするのだ。外見的にはアクションの途中で止まる。呼吸も止まる筈だし、表情も止まる。もっと掘り下げれば心の動きも止まらなければならない。
 折しもトランプ大統領の誕生で、白人エスタブリッシュや知識層の脳みそがすべてフリーズしているさなかの、この流行だ。フリーズとか、ストップモーションとか、既成の呼び方ではなく、「マネキン・チャレンジ」とよび、落選したヒラリーからビョンセまで巻き込んで、現象化している。
 かってファッション・ショーの演出テクニックとして、結構とりあげたのが、このフリーズ「マネキン・チャレンジ」だった。カジュアル・ウェアからセミ・フォーマル、イブニングまで、全部そろつたときに舞台上のすべてに「フリーズ、すなわちマネキン・チャレンジ」をかける。そこに登場するのがウェデング・ドレスだったりする。或はその景の最後の台詞をきつかけに登場人物全員が、それぞれのリアクションとともにフリーズして照明が暗転する。ショウの舞台であれば、歌やダンスの終わりでフリーズして暗転。つまりマネキン・チャレンジはその作品なり、ダンスの盛り上がりを観客の印象に残す演出技術だつた。
 いま流行のマネキン・チャレンジにどこまでの意図があるかわからないが、所詮高校生の遊びの範囲は超えていないだろう、と推察される。フラッシュ・モブがうたかたの都市ゲームに終わったように、この「マネキン・チャレンジ」もまたデジタル時代のいっときの流行りで終わるのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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