「いちばん大事な水がない」「医薬品が届かない」「移動式トイレが欲しい」「冷蔵庫が駄目だから生鮮食品が手に入らない」等々…被災地の人々の生活苦難が続く。
道路が寸断されているので、自衛隊もはいれない、トラックに物資は積んできたけど届けられない。
能登半島地震はこの国の地政学的困難をあらわに証明している。
輸送ルートは陸からと、海からと、空からある。
陸路は地震により百か所近くが崩落、あるいは地割れしていて補修しながら走るので、時間もかかるし、不可能の地域が点在する。
海路は西海岸が異常に隆起して、舟が接岸できない。東海岸は砂地が多く、揚陸艇を使わないとスムーズにいかない。
空路はといえば、滑走路が痛んでいて補修するので間に合わない。
ならば最新型航空機のオスプレイを使えば、輸送量も格段に上がるし、僻地でも学校の庭ほどあれば何処でも着陸できるし、離陸も可能だ。折角の最新航空機をただ一回の事故で、航行禁止を要請し、アメリカも日本の戦争音痴に付き合ってこのところ運用禁止にしている。航空機にトラブルはつきものだし、そのたびに改良を加えて進化していくという飛行機の現実を考えない日本人が平和ボケしているのだ。
この急場をしのぐのは、自衛隊にあるオスプレイを活用すれば即座に解決する筈。首相が決断し、オスプレイによる緊急配送を実施すれば、取り合えず被災地の人々の苦難をしのげる。
国民の無知に竿さして、決断しない総理大臣では全く役に立たない。増税総理ならぬ無能総理といわれても仕方ない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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