宝塚は鉄道会社が客寄せのために、始めた少女歌劇である。男役も女役も総て女性、それ故、歌も踊りも演技もすべて女性のからだに適応すべく、様式化され装飾化されている。作品のテーマも、良家の子女とその親たち向けに、人畜無害なユメユメしいものが選ばれる。
評価は「きれい」「素敵」「可愛い」がすべて。 大人になったタカラジエンヌはそとの舞台や映画を目指して皆辞めてしまう。
そのリアリティのなさは、いくら頑張っても大人のショービジネスにはなれないし、世界では認められない。たまにパリ公演などするが、あちらでは「へぇ、日本には奇妙なショウがあるぇ、女ばかりのレズビアン・ショウとは」といったところだ。
知能と肉体が未成熟な女の子にはちょうどいい芸能なのだ。
そのタカラズカ風見世物を一生懸命やっているのが、「佐久JC」、佐久の文化を考えたのか、タカラズカの実態を考えたのかはなはだ疑問である。
佐久は一遍上人の踊り念仏発祥の地、つまり京都以前の歌舞伎おどり発祥地なのだ。この歌舞伎発祥という歴史的遺産を棄てて、宝塚にうつつとは、なんという愚かしさ。ここにも田舎の無知を食い物にする三流イベンターがいる。
佐久のタカラズカ?
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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