会葬御礼のびつくり

by

in

 軽井沢の友人の葬儀に伺った。お寺さんではない葬祭専門会場での音楽葬であった。多分故人が生前に愛してやまない音楽が会場に流れていた。故人は音楽教育に一生を捧げてあの世に旅立った。
 お焼香をすませ、会葬御礼のはがきとお浄めの塩と濡れテッシュ、そして粗供養の一式をいただいて帰宅した。玄関先でのお浄めをすませ、久しぶりの喪服をぬぎ、スエットに着替えた。
 さて会葬御礼の粗供養を開いて、腰を抜かした。近頃は葬祭ディレクターなる若者がどこの会場にもいて、いろいろとかゆいところまで面倒をみてくれる、とかねがね聞いてはいたが、こんなにすごいことになっているとは知らなかった。
 「志」とかかれた会葬御礼のボックスからでてきたもの…ご霊前と印刷された香典袋12枚と水引つき香典袋一枚、それにお見舞いと書かれた金封、さらに赤のしの書かれたお祝い用金封一式。
 一瞬凍りついた。その意味するところは、13人の死者と一人の病人、そして一人のお祝、が対象になる。この粗供養を生かすためには、13人の死と向かい合わねばならない。人の世の習いとはいえ、この会葬御礼はかなり残酷な趣味だ。
 粗供養にテレフォン・カード、図書カード、クオ・カードが流行っていた頃があった。デパートの商品券が使われていた頃には、葬式荒らしのおばさんが出現してあちこちの大きな葬儀を荒らしているという噂がたった。近頃ではプチタオル、ハンカチなど、どういう訳かおくばりものにはブランド物が多い。ロベルタ、レノマ、バレンチノ、サンローラン、ポロなど、しまむらやユニクロはみかけない。最近驚いたのに、戒名入りカステラというのがあった。はなはだ食べにくい。
 さらに震災後、相田みつおの炭石鹸というのが登場した。包装箱に「しあわせは いつも じぶんのこころがきめる」とある。会葬御礼も一生勉強なのだ。
 葬祭ディレクターの皆さんも、もうすこし人生の機微を勉強して欲しい。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ