仙台七夕の始まりは、仙台の殿様伊達政宗公に始まる。
というのは政宗は、藩民教育の手段として七夕飾りを利用した。寺子屋も満足になく、高等教育など望むべくもなかったあの時代、奈良の頃中国から渡来した「乞巧尊」の習俗に眼をつけた。伊達公は七夕の竹に飾る七つの飾り物について、藩内のすみずみにお触れをまわし、必ず七夕飾りを実行するよう命じた。
「吹き流し」には五色の糸で裁縫上達を願い、「投網」は大漁祈願、「折鶴」は長寿と家内安全を、「屑籠」には整理整頓、「巾着」はお金に困ることなく節約を、「紙衣」には災難の身代わり、そして「短冊」にそれぞれの願いごとを……と藩民の生活規範を七夕飾りに託した。
仙台では第二次世界大戦に負けるまで、この七つの七夕飾りの意味をお上が印刷して全戸に配っていた。
いつの頃からか、日本全国各地に七夕祭りが出現した。
長野、能代、阿佐ヶ谷、安城、更にあの小室圭が登場した湘南ボーイ・コンテストの平塚七夕まで、売らんかなの商売目的で七夕飾りも商店街の
ディスプレイと化けてしまった。
家族で願いをこめて色紙を畳んでつくる七夕飾りは隅っこに追いやられ、大きさと華やかさだけを競う吹き流しにのっとられてしまった。
仙台の七夕も敗戦直前7月10日、11万400発の焼夷弾によって焦土と化するまでは、5,6メートルの竹に七つの願いを込めた七夕飾りで、東一番丁から二番丁、三番丁と風情のある七夕飾りが仙台の初夏を飾っていた。
「仙台よい町、森の町、7月10日は灰の町」B29によってまかれたアメリカの爆撃予告ビラ通りの町になってしまった。
ギュータンよりも大切なものが森の都にはあふれていた。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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