伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り (江戸川柳)
伊勢参りの目的にはいろいろあった。なかでも伊勢古市での精進落しはなによりのものだった。
遊女1000人妓楼70軒といわれた古市は、京島原、江戸吉原と共に三大遊郭のひとつに数えられた一大歓楽街だった。しかもお伊勢さま公認のうえ、故郷でも古市での筆おろしは村人一同から祝福され、憧れの通過儀礼だった。
古市の妓楼の規模は大きく、今に残る錦絵を見ても百畳座敷の三方に迫り舞台があり、30人の花魁が一斉にせり上がって登場する顔見せは見事だ。座敷のひらばには三味線、お囃子が左右にならび、床の間を背にした客は女将と妓女のサービスを受けながら、その夜の相手を花魁を指名する。
弥次さん喜多さんも長い旅のすえ古市の千束屋に着いたさまが、東海道膝栗毛に描かれているが、田舎から初めての伊勢参りにきた若者はさぞかし舞い上がったことだろう。夢のような花魁道中に眼を奪われているさなか、いきなり今夜の相手を選べといわれても狼狽えたに違いない。この夜妓楼で聞いた伊勢音頭をくりかえし繰り返し口ずさみながら故郷へ帰った。ご当地ものの音頭が全国にできたのは、ひとえに古市の精進落としのお蔭だった。
歌舞伎の外題に「伊勢音頭恋寝刃」という作品があるが、これは寛政年間に起きた妓楼油屋での実話が底話になっている。また古市は伊勢歌舞伎の中心でもあり、役者はまず伊勢歌舞伎三座で評判をとってから京、大阪、江戸にお目見え出来たといわれている。
京都都をどりのオープニングも、先先代の一力主人が伊勢古市の花魁道中をイメージして、井上八千代に振付依頼したと伝えられている。
伊勢古市の精進落とし
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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