伊勢おはらい町の恩讐

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 江戸時代のような大規模な伊勢参宮はなくなったが、「一生に一度はお伊勢参り」を志す日本人はまだまだ大勢いる。
内宮、外宮の神域には自然に抱かれた神道思想の環境が充分にととのえられていて、あらためて日本人の精神に内在する原風景がみえている。
そうした伊勢参宮のもうひとつの魅力は、内宮入口の左手にある「おはらい町」と「おかげ横丁」に尽きる。
 そこには伊勢門前町の歴史の横顔が見えるし、そこに集まった庶民の暮らしぶり、賑わいの楽しさがあからさまに体感できる。
580m、56件、140棟の街並再興には並々ならぬ汗と涙が費やされた。
 信州にも同じような村落再興はあったが、かっての修景に力を致すほうに力がそそがれ、今の暮らしにフィットさせる努力はすくなかったのが木曽路である。
 かって御師町であった街並みにとらわれず、伊勢らしい和風のまちなみにしようと、切妻や入母屋造りの妻入りを軸にして伊勢造という基本の建築様式をとりいれた。そのうえでそれぞれの家業に合うようにレイアウトした。伊勢の文化に残したいものは「おかげ横丁」にあつめた。
おかげで「すし久のてこね寿司」も「ふくすけの伊勢うどん」も豚捨も見事に繁栄した。
 こうした伊勢復活の先頭にたったのが「赤福」の浜田益嗣会長だった。みずから5億円の寄付をし、それを基金に100万から3000万の貸付、金利2パーセント20年という低利融資を実現し、おはらい町の人々におはらい町の繁栄を約束して町ずくりを進めたのだ。結果見事に伊勢門前町は賑わいを取り戻し、年度ないにすべてのお店は債務ゼロになった。
 この立役者の浜田さんがこのほどすべての役職をやめ、隠居に追い込まれた。グループ企業の造り酒屋がヤクザの代紋いりの焼酎をつくり、納品していたということが発覚したというのが理由である。10年前に暴力団から発注をうけ、納品したというのは事実だが、町衆のためにドンダケ尽くした優位の人材を排除することが正しいことだろうか。ペナルティを課し、これまで以上に伊勢おはらい町とおかげ横丁のために働いてもらったほうが、遥かにいいのではなかろうか。
 形式的な罰則に振り回されて、貴重な人材を失うのは余りにも残念である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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