仏教徒のためのキリスト教結婚式

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 オルガンの音が妙に甲高くひびく。司祭が中央に陣取り、三人のクワイアが歌う。
 教会はさすが帝国ホテルだけあって、まんなかにステンドグラスが走り、その中心に木製の十字架が浮いている。全体は木でできているが、格調のあるデザインで落ち着く。あちこちにあるウェディング業者のつくった教会のように、これみよがしのところが無いのがとてもいい。
 新郎は甥である。慶応大学を卒業してかれこれ20年近く、もはや結婚はしない独身主義とおもっていたが、実は密かに企んでいたらしい。
 新婦は神戸の甲南をでた今流行の小顔の美女であった。初お目見えの折、立ち話で生家の宗教は浄土真宗と伺っていた。広島といえば安芸門徒の中心地なので、ついそんな話をしてしまい、名物牡蠣舟のことも、原爆ドームのことも、千年の宮島のことも触れずしまいだった。がホットな話題は広島カープの赤ヘルだということを知らされ、自らの古さを恥じた。
 古いついでに思い出したのは、筆者は今当たり前のように全国にあるホテル・ウエディングの始まりに関わっていた。戦後初めてホテルで結婚式をしようと発議したのは、新橋の第一ホテルだった。呼び出されどのような演出にすべきかいろいろと試行した。そこから火がついてプリンス系ホテル、そしてオークラ、帝国とひろがり、あっという間に結婚式と披露宴は全国のホテルの営業メニューになった。
 馴初めの映像を上映する、両親への花束贈呈、新婦感謝の手紙で涙を誘う、みんなホテル・ウェディング初期に考えた演出である。
 クワイアの讃美歌を聞きながら、不思議な感興に襲われた。いまこの会堂のほとんどが異教徒、クリスチャンはいない、新郎は仏教徒だし、新婦は門徒、同席者は浄土宗、日蓮宗、禅宗等々、恐らく牧師だけがクリスチャンなのだ。そのクリスチャンの説教を素直に聞いている日本人、隠れキリシタンのあの頃とあまりかわっていないのではないか。日本の常識、世界の非常識なのだ。
 視点をかえればキリスト教は異教徒のためへの奉仕を装って商売をしている。それもこれも第二次世界大戦に負けなければ、こんなへんてこな結婚式は実現しなかったろう。
 戦争に負けたとき日本中のホテルに聖書がくばられてキリスト教による宗教侵略が始まった。70年たったいま、結婚式から仏式も神式も追放され、マッカーサーの意図が見事に実を結んだのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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