今度こそ地デジ大作戦。

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 六本木の公園で素っ裸でわめいた地デジ大使の発生で、一番あわてたのは所轄の総務省。テレビの放映方式にかんしては前科があったからだ。長年アナログのハイビジョン方式にこだわり、NHKと組んでハイビジョン番組の制作を強要し、不便きわまりないカメラを買わせ、スタジオへの投資を強要してきた。そのため国際的な地デジの流れに乗り遅れあわや世界の孤児になりかけていた。1997年にはITU国際電気通信連合が、欧州方式とアメリカ方式を地デジ放送の国際標準方式として承認、いちはやく98年にはイギリス、アメリカで地デジ放送が始まり、ハイビジョン派の日本の官僚のお尻に火がついた。切り替えのチャンスを逃したら大変となんとか日本方式の承認をえたのが00年、それからおおわらわのアナログ切り替えキャンペーンだったのだが、欧州方式にはすでに40カ国が参加、アメリカ方式にも米国、カナダ、メキシコ、韓国が加わり、日本の敗色は濃厚だった。がこのほどようやく基本特許の無料開放を条件にブラジル、ペルー、アルゼンチンの日本方式採用を獲得した。現地メーカーの生産能力が低いことを見越したあまり感心しない通産かけこみ外交なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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