人生最後の善光寺御開帳

by

in

人生最後の善光寺御開帳
 ゴールデンウィークの始まり、混雑を承知のうえで、善光寺さんの御開帳に行ってきた。
珍しい朝一番の北陸新幹線に乗って長野まで。案の定180パーセントの乗車率、ひさしぶりの満員電車を味わった。きっちりと詰め込まれた新幹線のなかで、ただひたすらにウォークマンに耳を預けた青年、ゲームに集中しているオネェサンは下車する家族を全く無視、何ごとかヒソヒソ話のJKは時に奇声を上げる。トイレに行きたくなったアラフォーは、立錐の超満員をかきわけて必死の形相でトイレのあるデッキに突進する。
 新しい長野駅の列柱には「縁」と書かれた提灯が、町内のお祭りにも劣るささやかさで吊られていた。
「ねぇママ、あの提灯なんて書いてあるの」「早く歩きなさい、フチよフチ!」「フーン」子供はそれ以上の質問を飲み込んだようだ。「エンだろう」「馬鹿野郎、あれはエニシって読むんだ」学生同士でもあろうか。ややこしい提灯を付けたものだ。
 善光寺は早朝から三列に分かれていた。
 一番左の列は御印紋頂戴、真ん中は回向柱、そして右側は内陣御祈祷の列、そこにどんどん新しい
列が出来、何ごとかとみればお朝事のお坊さん帰りのお数珠頂戴。何も知らない外人観光客は、ホワッツ!ホワッツ!なに!なに!と連呼して、目の前に繰り広げられた混乱の列に巻き込まれていた。
 海外の友人が心待ちにしている、回向柱から作られた30センチ程の小さな回向柱を手に入れなければならない。7年間お祀りする回向柱には、梵字と光明遍照から商売繁盛までの拾の願文が書かれ、空・風・火・水・地を表わす五色の組みひもが巻かれている。
 キリスト教会のマリア様など歯牙にもかけない。この善光寺の小さな回向柱は間違いなく世界一美しい。今日から7年間我が家の仏壇でも萬姓快楽とお守りしてくださる。
 帰途「彌生座で名物せいろ蒸し」と訪れたが、まだ開店前と玄関払いをくう。混雑満員の八幡屋磯五郎を横目に、さすがインテリの彌生座、便乗商法などしないという見識の高さに信州人を見た。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ