人気の「廃業おくりびと」

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 かって創立50年のとし、100に近いブランドのアイランドを創り、センターに映像によるファッション・タワーを構成し、さらにファッション・シアターをつくってイベント化した、あのオンワードが危ないという情報に接した。サンローランを頂点にビジネス・スーツからゴルフウェアまであらゆる衣料をブランド展開していた巨人に落日がおとずれているのだ。
 前世紀末といってもほんの20年ほど前だが、ユニクロを初めとするストリート・ファッションが登場してきた時、いち早く市場変化に反応できなかったことが原因だろう。
 1970年代から数々のビッグプロジェクトを制作・演出してきたが、カネボウも、オンワードも、レナウンもみな崖っぷちにたっている。あのゾゾタウンですら明日倒産しても不思議ではない。友人の息子さんは、オンワードをやめてどこかのIT企業に転じると聞こえてきた。
 長野の真ん中ではアゲインが倒産し、年末には権堂のイトーヨーカドーも閉めるという。駅前の平安堂も消えて、ドンキホーテのネオンが図々しく輝いている。ついこの間の長野オリンピックの痕跡すらない。もはや都市の中核風景が変わってしまうのだ。
 会社が、中小企業が、商店が、人知れず消えていく。
 去年は46.000件の中小企業が廃業に追い込まれた。これからの一年、廃業・倒産の危機にあるのは310.000社と予測されている。日本列島はいまや廃業列島であり、大倒産列島になっている。
 人口が減り続け、もはや家業が維持できないという中小企業だらけ。後継不足、地域経済低下、地盤沈下を前にしても、現実はラクビー熱狂、オリンピック万歳、今日はサッカー、明日は野球、の声にかき消され、真実は見えない。先進国が植民地支配のもっとも有効な武器はスポーツであると、喝破した意味がよくわかる。
 従業員に迷惑をかけず、取引先にも争うことなく、銀行の理解をえて廃業するために、いま多忙をきわめているのが「廃業おくりびと」なる職業。円満な自己破産のため、いい終わり方をするにはどうしたいいか、藁をもつかむ思いで「廃業おくりびと」のもとに駆け込むという。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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