歯医者にかかると、その後美味いものが食べたくなる。 タクシーを飛ばして人形町へいく。
久しぶりに「元祖親子丼」に会いたくなった。当然1760年(宝暦10年)創業の「玉ひで」である。
江戸の風情が残る人形町界隈でも、「玉ひで」の白い漆喰壁はずぬけて鮮やかな佇まいだ。客間の天井は、格天井に切り出しの細工などあり、「朝昼晩3000両の落ち処」といわれたかっての繁栄をしのばせる。
昼間から軍鶏すきもはばかるので、「元祖親子昼膳」を頼んだ。
軍鶏時雨煮、軍鶏コラーゲン・スープ、元祖親子丼、香の物、水菓子である。なににもまして親子丼のうつわが素晴らしい。金の漆細工が施されたたっぷりと大きい木製の蓋付どんぶりだ。器の高さを低く抑えているので大きくとも下品に流れない。なかは朱のため漆、親子丼のうつわとして絶妙なバランスを保もっている。
酒、砂糖を使わず醤油とみりんの風味を生かした割下で煮込まれた軍鶏と、閉じた卵の甘さが浮遊して50年前とすこしも変わらない旨さを味わうことができた。
帰途せつかくの人形町なので、魚久の本店やら谷崎潤一郎生誕の地などのぞき、水天宮まで足をのばした。
この辺り猿若座、村山座の芝居小屋を始め人形浄瑠璃、説教芝居、見世物小屋、曲芸、水芸、手妻など江戸庶民の芸能センターだった昔をしのびながら歩いた。
「粋でおきゃんで芸がたつ」芳町芸者の趣きのある熟女が共連れであった。
人形町の五つ星
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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