人工頭脳がこれほど話題になった時代はない。
テレビにはマツコのアンドロイドが登場し、日曜ドライブには手放しの自家用車で風景を楽しむCMが流されている。カンヌのジャパンデーでは、ロボットが受付をして映画人たちの顰蹙をかった。
戦後60年代には、人工頭脳は論理の世界の話だった。それが80年代には知識の領域に人工頭脳が進出してきた。
筆者が安倍公房とアンドロイドのドラマを創ったのもその頃。人間そっくりのアンドロイドが自由に作れる時代になり、新宿の伊勢丹でも注文をうけるようになった。
寝太郎は早速に伊勢丹のオーダーに駆け付け、自分と寸分変わらないアンドロイドを注文した。たびたびの仮縫いをへてようやく半年後にアンドロイドが完成した。
寝太郎は早速にアンドロイドをつれかえり、祝杯をあげた。
さあこれで朝早くから会社にでて、つらい日々を送らなくて済む。労働はすべてアンドロイドに任せ、寝太郎は昼寝三昧、大好きな美空ひばりの歌をききながら、ごろごろの毎日、アンドロイドは忠実に出勤の日々をこなしていた。
そうした安楽の日々が一か月もつづいたある日、寝太郎は退屈にたえられずアンドロイドに休日を与え、みずから会社に出勤した。
ところがこの一か月の間に、秘書課の美女たちの態度が一変している。
仲良しだったカナちゃんもユキちゃんも何故かよそよそしい。彼女たちの心をアンドロイドに奪われてしまった。アンドロイドの人工頭脳には、愛を独占したい機能がしっかりとつけられていたのだ。
絶望した寝太郎は、涙とともに熱海海岸の絶壁にたたずむのだった。
さてみずから運転しなくともどこかに連れてってくれるCMはおそろしい。
学習と統計処理に身をまかせた人口頭脳が人間を支配する世界は果たしてユートピアだろうか。
集積された技術がどんなに優秀でも、人間には神から与えられた知能と倫理があるのではなかろうか。
人工頭脳の地平線
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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