数えてみると30回近く通っているニューヨークで、所謂デザイナーズ・ホテル、当地ではブティック・ホテルと呼んでいる現代建築家の設計したホテルに泊まったことがなかった。いつも安全第一で、名の通ったホテル、たとえばウォルドーフ・アストリア、プラザ、セント・レジス等クラシックなホテルを利用していた。これから幾度もN.Yに行ける訳もなく、N.Yらしいモダーン・デザインのホテルをチョイスと思い立ったのが間違いのもと。
44 WEST 44th ST.とあれば5番街にも近いし、2ブロックでブロードウェイだし、こんなに便利な場所はないと、ROYALTON NEWYORKを選んだ。先ず入口が判らない。巨大なギリシャ様式の石柱のあいだに黒い扉、確かネットで見たときは赤い大扉だったのだが、後に聞いたら4月からは黒だそうだ。普通ホテルの前はポーターやら客待ちのタクシーやらなんとなくそれらしい空気を発散しているものだが、誰もいない。恐る恐る黒い大扉に近ずくと静かに扉が開いたが、中は暗くて何も見えない。やがて眼がなれ耳もなれると、そこはロックの鳴り響くナイトクラブ状態、建築のモチーフとなつている列柱をたどって奥へ進むと柱のあいだに暗がりに浮かぶレジストレーション・カウンターがあった。エレベーターはというとやはり同じモチーフのドア、トイレも更に柱をたどって同じドア、すべてが統一されたデザインだが、新参者には判らない。薄暗いサスペンション・ライトの空間を泳いでいるようだ。エレベーターの内部も全く同じモチーフで、暗くて幻想的。期待して部屋にたどり着き、ドアを開けたらこれまた同じモチーフの空間が広がった。デザイナーは、余程この深いブルーグレイの暗がりがお好みのようだ。そしてコミニケーション・ツールとして置かれているのが、A5程のipad ひとつ。さーて困った小生アイパッドなるものを使ったことがない。どこをどう触ったらいのか判らない。頼らなければいいのだからと、3日ばかりほっといたら、そのアイパッドもなくなっていた。小さな紙に、バージョンを新しくするのでしばらく預かるとある。お上りさんには難儀なデザイナーズ・ホテルであった。
人に不親切なデザイナーズ・ホテル
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す